株式会社日本M&Aセンター 三宅 卓 ひとつのことに熱中して掘り下げていくと
見えてくる世界が必ずある

略歴・プロフィール

三宅 卓(みやけ すぐる)●1952年兵庫県神戸市生まれ。64歳。
「幼い頃はまだ戦災の焼け跡が残る神戸のど真ん中で遊んでいました」という三宅だが、小学生になってからは母親の影響でクラシックを皮切りに、音楽に親しむ。興味の赴くままポップス、ロックンロールを聞き、小学校6年のときにビートルズに触れ、衝撃を受けた。中学に入ると「ワルターやベルンシュタインを通してクラシック音楽を聞く一方で、ブルーノートレーベルを通じてジャズにも陶酔していた」というから音楽的にはかなり早熟な少年だった。
そんな三宅は高校に入ると自らを表現する手段として写真を選び、写真部に入部。時代は60年代後半。日本が高度成長に歩み出す中で世界的にもさまざまな社会矛盾が噴出。学生運動の気運が高まりを見せる中、三宅はロバート・キャパ、アンリ=カルティエ・ブレッソンなどのドキュメンタリー写真の力を信じ、写真家を志す。
「当時は写真のかたわら哲学や文学にも興味を持ちまして、西田幾多郎や高橋和巳などをよく読んで友人たちと朝まで議論することなんかもやっていました」と三宅。当然、受験勉強は疎かになり、一浪の末、何とか大阪工業大学工学部に入学した。
「大学は写真を続けたくて入ったようなもの。暗室に篭りっきりでした」と笑う三宅は、キャパらが組織した写真家集団『マグナム』に倣い、関西地方の学生によるカメラマンの交流組織を作って活動していたという。
写真の力を信じていた活動を続けていた学生の三宅に、最初の転機がやってきた。
当時、雑誌『装苑』(文化出版局)の専属女性モデルを使い、「田舎の女性」というテーマで撮影したとき「自分では素晴らしい写真が撮れたと思いましたが、これは私の表現力が成したものではなく、モデルさんのチカラによるところが大きい」と感じたという。真剣に写真家を目指し活動していたからこそ辿り着いた境地、だったのかもしれない。
三宅は「これからの時代、写真では世の中は動かせない。実業の世界へ行こう」と決心し、2年間の留年の末、大学を卒業し、外資系コンピュータ会社である日本オリベッテイ株式会社に1977年に入社。25歳の新人として営業に配属されるも「当時は喋るのが苦手だった」という三宅は、写真や絵を使ってお客様に提出する資料を準備することに精を出し、1年目からトップの営業成績を収めた。
「…なにせホレ、私は1浪2留の3年遅れでしたし、劣等感と危機感から仕事の準備と行動を進めていたんですが、量と質を追求していけば何とかなるなと思いました」と豪快に笑いながら振り返った。その後法人営業で着実に業績を上げ、日本オリベッテイ・本社営業企画・東海事業所長を務めた。
第二の転機は1990年代初め。コンピュータのダウンサイジングが進み、パソコンが主流になっていく中で、三宅は「コンピュータビジネスにある種の限界を感じていた」という。コンピュータの営業活動を通じてお客様にソリューションを提供し、信頼関係を築き上げてきた三宅は、さらなる情熱を賭ける仕事を求めていたのかもしれない。
ちょうどその頃、会社の先輩であった営業課長(分林保弘氏/現・株式会社日本M&Aセンター 代表取締役会長)から誘いを受けて、1991年、株式会社日本M&Aセンターの設立に参画することに。二つ返事で新しい仕事に進んでいったという。以来、同社の基盤ともいえる税理士事務所・会計事務所のネットワークづくりなどに奔走。中小企業M&Aの第一人者として会長とともに同社を牽引し、現在に至っている。東京に住む長男にお子さんが3人、神戸で暮らす長女に2人と、合わせて5人のお孫さんを持ち、長期休暇の時には家族で別荘での滞在を楽しむ。

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株式会社日本M&Aセンター 三宅 卓

学生さんに関して言えば、スポーツでも音楽でも文学でも何でも構わないのですが、何かひとつでも熱中できるものを持ってほしいと思いますね。というのは、ひとつのことに熱中して掘り下げていくと、見えてくる世界が必ずあるからです。ひとつのことを掘り下げたことがない人間というのはどこか限界があるなと感じていて、壁にぶつかった時どうしたらブレークスルーすることが出来るかとかわからないようです。ですから学生時代は熱中できることを見つけて没頭してほしいなぁと思います。
もうひとつは語学力。日本はこの先シュリンクすると言われていて、その中でワールドワイドに大きく羽ばたこうとすると、当然ながらコミュニケーションツールである英語が非常に重要になってきます。ですから、一年ぐらいは日本人があまり行っていない地域に留学してきちっと英語力を身につけて、欧米人を始めアジアの国々人々の考え方、文化、宗教も理解して帰ってくることなどが大切だと思います。

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素顔
素顔

関西弁のトーンを残しながら饒舌に語る三宅。この先の日本のM&Aについて話すその姿は変化を余儀なくされる日本と日本企業への愛情に満ちていた。「社会を変えるには実業の世界で」と決心した青年だった三宅は、今でも続けている趣味について少し照れくさそうに語ってくれた。

ロバート・キャパが最後まで愛用していたカメラ

「社員たちと一緒に自分たちの好きな曲をやるコピーバンドでエレキベースをやっています。私が一番の新参者となりますので、練習のスタジオや譜面を自分で手配したりやっているんですよ、秘書に頼らずに、ですよ…笑)。そのバンドで時々ライブをやったりするのが楽しいですね。カメラは若い頃憧れていたライカやハッセルブラッドは持っています。ずっとフィルムに愛着があったんですが、さすがに最近デジタルに換えました。でもどうしても手を出せないカメラがあります。敬愛するロバート・キャパが最後まで愛用していた『コンタックス』。私なんかでは畏れ多くてとても手が届くものではないと思っているんですよ…笑)」

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近況UPDATE

音楽、写真、哲学・文学、コンピュータと変節を繰り返しながら人生を歩んできたように見える三宅だが、その根源は「自分がワクワクするもの」ことにあったようだ。そこから仕事を、社会を見つめていった三宅の生きざまにはブレはない。いま、M&Aという仕事を通して変わりゆく日本の未来を見据えている。

00:36「高校の時に写真部に入って本格的に写真を始めた」
01:28「大学時代、ドキュメンタリーのカメラマンをめざしてやっていた」
01:58「世の中変えていくには実業の世界に入らなくては…」
02:36「外資系に行けと言われて日本オリベッティへ」
03:31「喋るのが苦手なので、喋らなくてもいいぐらいに準備をした」
07:23「ビジネス、趣味…何であれ、私の場合、動機はワクワク感」
09:07「ニーズが増えていく中で本当にいいM&Aをしなければいけない」

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COMPANY INFORMATION
企業名 株式会社日本M&Aセンター Nihon M&A Center Inc.
所在地 〒100-0005  東京都千代田区丸の内一丁目8番2号 鉄鋼ビルディング 24階
業種 サービス業
設立 1991年4月25日
資本金 12億円(東証一部上場 証券コード:2127)
従業員 234名(2016年3月末時点)
事業内容 M&A仲介、企業評価の実施、MBO支援、企業再生支援、コーポレートアドバイザリー、資本政策・経営計画コンサルティング、企業再編支援など
URL https://www.nihon-ma.co.jp
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