1953年大阪で生まれた下野は、京都大学大学院工学研究科修士課程に進んだ。大学時代はコンピュータのオペレーティングシステムの機能拡張などを研究していたという。修士課程終了後、1978年に日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。「当然、R&D部門に配属されると思っていた」下野だったが、大阪の営業部門に配属される。その後、技術・サービス部門を中心に担当し、2001年に取締役就任。2003年には常務執行役員。2007年からは専務執行役員を務め、2010年から現職。約40年の仕事人生の中で、IT業界の変貌を捉えながら常に日本IBMの第一線の「旗振り役」として走り続けているといえよう。
趣味は音楽。学生時代から京都のジャズ喫茶に通いつめ、アパートの部屋ではローランドの電子ピアノを弾いていたという下野は、特にジャズに造詣が深い。なかでも1930年代から、ピアニスト兼ビッグバンドのリーダーとして活躍したカウント・ベイシーの大ファン。所蔵しているレコードやCDは2000枚を超えている。自宅のオーディオ装置をネットワーク対応システムに切り替えたことを機に、家にいる休日は音源(レコードやCD)のリッピング(デジタル化)に勤しむ。アナログに対する郷愁を感じながらも、デジタルという技術の進化に信頼を寄せている、清々しい笑顔が印象的な63歳。
(インタビュー/2016年2月4日)
ビッグバンド、スウィングジャズの代名詞ともいわれる『カウント・ベイシー楽団』。そのスウィンギーで華やかなサウンドを堪能出来るジャズ喫茶が岩手県一関市にある『ベイシー』だ。国内外から多くのジャズファンやミュージシャンが通うスポットして知られている。
『ベイシー』は古くからあるジャズ喫茶。店主の菅原さんはおそらく私と同世代。早稲田のジャズ研にいて、故郷の一関に帰ってジャズ喫茶を開いた人。菅原さんのこだわりだと思いますが、アンプ、スピーカーはすべてJBL。大音量でジャズが聴けるのがファンにとっては最大の魅力ですね。仙台出張の時に、何度か足をのばして一関まで行きました。昔は、こうしたジャズ喫茶が京都にも東京にも数多くありましたけれど、最近は数えるほどしかないので少し寂しいですが、時代の移り変わりで仕方ありませんね。だから『ベイシー』には、頑張って欲しいと思いますし、また時間を作って訪れたいと思っていますよ。
日本IBMに入社して13年間、下野は大阪で営業を担う。大阪という地方ではなく東京で仕事をしてみたいという思いから東京に異動願を出していたものの、異動先は米国IBMの本社だった。ローカルとグローバルの双方を体感した下野は、IBM全体の変遷をもふまえながら、営業の仕事として変わるものと変わらないものを的確に語っている。
「SEかと思ったら大阪で営業をやれということで…」(01:50)
「最初にもらった契約はよく覚えています」(02:16)
「全国区に行きたいと思い、東京で仕事をしたいと言い出して…」(03:05)
「僕自身はアメリカに行きたいとは一言も言っていないんですよ」(03:28)
「アウトソーシングの営業をやっていて一番感じたこと」(04:07)
「『高い』と『いい』という形容詞をどの順番で言わせるか…」(6:03)
企業名 | 日本アイ・ビー・エム株式会社 IBM Japan,Ltd. |
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所在地 | 東京都中央区日本橋箱崎町 |
業種 | 情報システム |
設立 | 1937年 |
資本金 | 135,300百万 |
従業員 | 全世界で約40万人 |
事業内容 | 情報システムに関わる製品、サービスの提供 |
URL | http://www.ibm.com/ibm/jp/ja/ |
※登場人物の勤務先企業と肩書は、すべてコンテンツ公開時のものとなります。